ほっかいどう元気びと

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2017年12月10日のゲスト

浅田 達矢さん
ばんえい競馬 元騎手
ばんえい競馬のスタッフとして
北海道有線放送株式会社に勤務
浅田達矢さん

奈良県出身。
医大の受験に失敗し、自転車で北海道を旅していた際に、川湯温泉の「ばん場牧場」でアルバイトを始める。
その仕事をきっかけにばんえい競馬の騎手になる事を決意し、2005年27歳でデビュー。2014年には最高峰のレース「ばんえい記念」を制するなど、現役通算364勝をあげ、2017年3月に引退。
4月からはばんえい競馬のレース業務などを請け負う「北海道有線放送株式会社」に入社し、スタッフとしてばんえい競馬の運営に携わっている。

村井裕子のインタビュー後記

 どこもかしこも大変な時代。好景気と実感出来る時代は遥か昔に遠ざかり、いずこの業種も人は足りない予算もない・・・ここ何年もそんな言葉が飛び交っている。
 そういう、無い無い尽くしの中で陥りやすいのが、もっといい時代だったらこんなに苦労しないのに・・・給料が上がれば文句はないのに・・・景気が良ければ幸せになれるのに・・・といった言葉癖「・・・のに」がまとわりつくマイナスのスパイラル。
 だが、よくよく考えてみれば過去の高度経済成長期やバブル期など“いい時代”でも、人は“心の押し入れ”から何やかやと“負の種”を引っ張り出しああだこうだの悩みは尽きなかったのではないか。手の中にすでにいろいろなものがあるのに、あれがあれば・・・これがあれば・・・も蔓延していたのではないか。あたかも幻の逃げ水を追いかけるように。
 今、そしてこれから、世の中は益々“大変”になっていくだろう。右肩は下がり、バブル再来など夢のまた夢。逃げ水みたいな「・・・のに」を追いかけて気持ちを萎えさせるより、“大変”な状況だからこそ、あらゆる場のひとりひとりが、感情に流されてマイナスのスパイラルに陥る空気をプラスのスパイラルに変えていくしかない。人の心の環境整備に“人間力”ありき、そんな時代。
 変化や困難の時こそ、そんなふうに自分自身の中の力を最大限に引き出すチャンスなのではないか・・・今回の「ほっかいどう元気びと」のインタビューを終えてふと感じた。

浅田達矢さん 12月10日のお客さまは、ばんえい競馬の元騎手で現在は裏方として運営に携わっている浅田達矢さん 40歳。27歳でデビューして現役通算364勝。2014年には最高峰のレースである「ばんえい記念」を制し、今年の3月に引退。「ばんえい十勝」という、現在は帯広だけで行われている北海道ならではのレースに携わり続ける思いを聞かせていただいた。
 奈良県出身の浅田さんがばんえい競馬の騎手という仕事に出会ったのは、大学受験に失敗し、北海道を自転車で旅したことがそもそもの始まりという。医者になるための受験だったそうだが、気を晴らそうと憧れの北の大地を“放浪”していた折に、川湯温泉にある「ばん馬牧場」でアルバイトをすることになって馬の魅力に惹かれ、さらに競馬場で手伝いをするうちに、「馬が好き」と「勝負事の仕事に就きたい」という思いに突き動かされて騎手になったのだという。前回のゲスト・熊田架凜さんと同じように縁のなかった北海道で出会うべきして出会った仕事。まさに、「一本のレールに車輪が乗って、どこかへ運ばれるように」北海道の馬の仕事に導かれたのだ。

 浅田さんはけっして饒舌ではないし、初対面の人に率先して話しかけるというコミュニケーションの達人でもない。自己表現の不器用さも伝わってくる。だけど、やはり、人との対話は面白い。問いかけて引き出す、問いかけて引き出すというやりとりをするうちに、一見ぶっきらぼうに感じる話し方の中から浅田さんの人柄がくっきりと浮かび上がってくる。
 例えば・・・12年の騎手生活で大事にしていたのは、「いつでも全力でレースに挑む」という強い思い。・・・騎手という仕事から学べたことは「忍耐力と、曲げない気持ち」。・・・集中力が必要な勝負の日々の中では周りがあまり見えていなかったけれど引退して運営側に回ると「多くの人に支えられていたと気づいてびっくりした」と驚き、他の人達が“あたりまえにしてくれていたこと”を今度は自分がする側になりそれを続ける大変さも実感・・・etc.
 曲がったことが大嫌いで、真っ正直。そして、意外な素直さが照れの中から顔を出す。
 馬好きが高じて騎手になり、喋れない馬の気持ちに気づきたいと馬との“対話”を続けてきた仕事からガラリと変わって今は人間関係に気を配る日々。心を砕くのは人との会話。運営側と厩舎側、お互いの考え方の隔たりを少しでも自分が埋められたらと思い、なるべく自分から話しかけるようにしているとのこと。
 「会話無しではお互いの不信感が募る。ちょっとしたことで考え方の食い違いを埋められるとしたら、お互いの意見が聞ける立場の自分が間に入らなければ」と。
 馬との12年を精一杯し尽くして、さらなる第二ステージは職場の人間関係を良くするために自分が出来ることは何なのか、失敗をしながらでもひとつひとつやっていかなければならないことは何なのかを考えたい・・・そんな真面目さが訥々とした話し方の中から伝わってくるのだった。

浅田達矢さん インタビューを通して浅田さんがご自身で改めて気づいた課題は、「より良いコミュニケーションの方法」だ。自分自身が今直せるところはどこなのか、どんなやり方をしていったらいいのか・・・その方法がまだわからないという葛藤と、そこから自分をもっと変えられるはずという強い思いは、収録後のやりとりでも静かに、しかし熱く溢れてくる。
 私が、「話し方」と「コミュニケーション」の学びの場を帯広でも受け持つ立場から、「自分ではそんなつもりではないからと無意識でやってしまう話し方と何気ない態度が、実は相手に不快な思いをさせていることが多い。そのひとつひとつを意識することがより良いコミュニケーションに繋がる」という例をお伝えすると、浅田さんの中で新鮮な発見があったらしく、さらに人との関係作りの難しさや、そこから気づいた思いが言葉になってするすると引き出されてくる。そうして、ほんとうにその通りだと共感したのが、次の表現だ。
 「自分が絶対に曲げたくないと思う大事なことは守り続けたい。でも、その他に幾つもある“正しい、正しくない”の中で、自分の思い込みが間違っているとしたらそれは直さなくてはいけない。そういうところに今気づきたい」
 芯を強く持ち、真っ正直でありながら、もっと柔軟なやり方も身につけるということ。そして、自分の信じたものをどのように貫き、なお且つ、どのようにしたら周りの人のためにもなるのかを考えるということ。・・・それこそがコミュニケーションの最も難解なところであり、真髄でもある。
 仕事の悩みの大半は人間関係と言われるように、人間関係が心地良い環境であれば、その分消耗していたエネルギーをやるべき仕事に存分に注ぐことが出来る。
 馬のいる北海道に導かれて今ここにいる浅田さんの新しい第二ステージは、やはり何かの役目を担わされているのだろうと思う。北海道で完成された形のばんえい競馬をあらゆる関係者が手を取り合い盛り立てていくため、人の間を繋ぐというやりがいのある役割が。

 以前もこのインタビュー後記で書いたことがあるのだが、内村鑑三が「後世への最大遺物」という講演録の中で二宮金次郎の生涯について語った表現を再び思い出した。
 「この宇宙というもの・・・天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだからもしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」
 二宮金次郎はその考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した人です、と。
 「ほっかいどう元気びと」で何かに一心に取り組んでいる人、不器用ながらも真っ直ぐに進んでいる人、周りから無理などと言われても頑張り続けている人に出会うと、いつもこの“天は助けよう助けようとばかり思っている”という言葉を贈りたくなる。「だから大丈夫、きっと心のままに進んで大丈夫」と。
 “大変な時代”と言われる中でもそんな思いを人と共有出来れば、人と人との関係も、それこそプラスのスパイラルになっていくのだろうと、改めて思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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