ほっかいどう元気びと

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2017年12月17日のゲスト

出合 祐太さん
「北海道ベースボールアカデミー」代表
「ブルキナファソ野球を応援する会」代表
「Boulangerie Lafi」経営
出合祐太さん

富良野市出身 34歳。
2007年、25歳の時にブルキナファソにJICAの隊員として派遣され、日本人で初めて野球指導を行う。
その経験をもとに、翌年「ブルキナファソ野球を応援する会」を設立し、帰国後も仲間たちとともに支援を継続。
2017年4月にはプロ野球選手の育成を目指す「北海道ベースボールアカデミー」を開校した。

村井裕子のインタビュー後記

 12月、この季節になると思い出す物語がある。チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」。強欲でひねくれものの主人公スクルージは人との関わりを一切絶ち、事務員ひとりだけの小さな会社を取り仕切っていたが、ある日、かつての共同経営者だった亡きマーレイが亡霊となって現れ、「今のような偏屈で冷血な生き方を続けていては、自分のようにこの世とあの世の間をさ迷い続けることになる。これからやって来る3人の精霊に従うように」と言い残して去っていく。その後、過去の精霊、現在のクリスマスの精霊、未来の精霊によって自分の越し方と行く末を見せられたスクルージは改心し、愛に溢れるクリスマスを祝うようになる・・・というお話。
 印象深いのは、亡霊マーレイの透き通って見える身体は生前の欲望そのままに金庫や南京錠、台帳、証文、鋼鉄製の重そうな財布などで出来た鎖に繋がれているという描写。1843年発表の小説だが、お金を筆頭に人は何かにがんじがらめになっているというディケンズの痛烈な世相批判だ。
 なるほどお金というのは最も分かりやすいが、生きている私達は結構見えない何かに縛られているなと思う。縛られているというより、自分で自分を縛って動けなくしていることも多いかもしれない。「やってみたいけど私には無理」「この地域なら前例が無い」「この歳で叶うわけがない」「親が許してくれないだろう」・・・など、見えない“場所やら年齢やら他人やら”が鎖となってじゃらじゃらと手足を縛っている。
 踏み出したいのに踏み出せないのは挑戦して失敗したくないからであり、わざわざ縛るような言葉を自分で言い聞かせて結局何もしないままの自分を自分で招いているといったことを心理学のアドラーは分析していたと思うが、それらの鎖を解き放つ鍵は他でもない自分の中にある。まずは自分はどうしたいかと問いかけることからなのだろう。そして、そのために欠かせないのが人の関わりだ。鍵を開けてあげるのではなく、その鍵は自分の中にあるということを気づかせる関わりが。
 今回の「ほっかいどう元気びと」のインタビューを終えて、そんなことを感じた。

出合祐太さん 12月17日の放送は「もう一度会いたい元気びと」、2013年に出ていただいた、「ブルキナファソ野球を応援する会」代表の出合祐太さん 34歳。富良野でパン屋を営みながら野球を通して人の可能性を引き出し、さらには地域を活性化させようという独自の活動を続けている人だ。
 ブルキナファソとは、西アフリカの最貧国。北海道に住む出合さんがこの遠い地の野球を応援することになった経緯は2013年10月20日のインタビュー後記にも書いたが、JICAの隊員として25歳の時に現地に赴き日本人で初めて野球の指導をするという経験を通して自分自身が大きく変わった。その、自分が変われたお礼としてブルキナファソの人々の自立への応援をしたいのだ・・・といった話はとても心に響くものだった。
 何よりも、「以前の自分は“それは無理”とすぐに言うような若者で、ブルキナファソに来てみても、この国でスポーツの文化を発展させるのは無理、それよりインフラ整備のほうが先決と言い切っていました」。ところが、もう日本に帰ろうとまで思っていた時に1人の少年がひょっこりと訪ねて来て、その交流からすべてが始まっていったとのこと。 
 今回は、そのブルキナファソへの支援の進捗状況と、今年から富良野でスタートさせた「北海道ベースボールアカデミー」に込める思いを話していただいたのだが、その一貫した思いは何年経っても変わらない上に、さらなる活動のすべてが根底で繋がっているのだと、改めて確認させて貰えたインタビューだった。

出合祐太さん 出合さんの取り組むゴールのイメージは、「ひとりひとりが心の中に限界を作らずに、それぞれが自分の人生を生きられる世の中、そして、それが実現している世界」。
 「北海道ベースボールアカデミー」は、国籍を問わずプロ野球選手を目指す若者達の後押しをするとのことだが、志願者達は富良野で日々働きながら野球の技術を磨き、プロに挑戦していくという。お膳立てをして受け入れるのではなく、個々がそれぞれにどういうところを目指したいのか、どんなふうになっていきたいのか、そのためにどういう練習をしていけばいいのかを自分で設定し、目標を達成する力を養うことを最優先にしているとのこと。
 「野球はきっかけづくり」というように、野球はひとつの“ツール”であり、すべての取り組みの目指すところは、“無理”という考え方の限界を外して、やりたいことにチャレンジ出来る自立心の掘り起こし。北海道に独立リーグを作ろうという働きかけも、「北海道では無理じゃない?」という限界を打破して、その先に叶えたい地方のイメージがくっきりとあるのだと感じられた。
 そして、「活動を継続させることは勿論、発展させていくことこそがもっと大事」という言葉をある人から掛けられ、この後の10年、20年をイメージして様々な構想を立てているのだと収録後にも話してくれた。ひとつには北海道の独立リーグ創設というチャレンジをこの数年で形にする。もうひとつ、ブルキナファソではさらに住民が自立して豊かな生活が送れるように、野球だけにかかわらず、あらゆる専門職、あらゆるもの作りを担える人を育成する準備を始めているのだそう。まずは自分が出来ることからと、出合さんがパン作りの技能を指導し、さらに、現地で店を開く方法も含めて支援する仕組み作りを進めていきますと、エネルギーを沢山溢れさせて楽しそうに教えてくれた。

 “自分を縛っているものから皆が自由になる”・・・出合さんが目指すゴールをイメージしながらこの文章を書いていて、思い出したことがある。
 私が放送の仕事に就こうと決心した昭和50年前後というのはまだまだあらゆる“常識”がまことしやかに語られていた時代。特に東北の小都市だったせいもあり、仕事によっては「女には無理」「この町からは無理」とか、スポーツなどでも「雪の多い東北だから全国で勝てない」などという“定説”の鎖が手足を縛る空気になっていた。悪気はないのだが多くがそう思い込み、言葉にする人も多かった。案の定、「アナウンサー」も大多数が就く仕事ではないので、“この土地からは無理”を言われがちな職種。なぜその空気に抵抗出来たのか・・・改めて考えてみたら、ある日自分の中にストンと解が降りてきたのを思い出したのだ。
 「無理と言っている人その人自身がそれに挑戦したわけではない。出来るかどうか試したわけでも経験したわけでもない人がまだ見ぬ未来をジャッジしてもそれはほとんど説得力が無い」。だとしたら、自分が経験者になれば自分自身が最もその答えがわかるはず、と。
 鎖がほどけた感覚になり、まずは思いを叶えるための方法をひとつひとつ調べて実行するところから始めた。ひとつ行動を起こせば次の道が見え、またひとつ進めば次の方法が見えてくるという、愚直そのものの行動ありきだ。
 それはそのまま、出合さんの発想の根本と同じことだとしみじみ共感する。
 未来に向かって私達がほんとうに手に入れたいのは、「そんなことは無理」と周りも自分も縛る鎖ではなく、自由なチャレンジを共に喜び、「どうすれば出来るのだろう」を共に支え合う絆。言葉にする人がひとり、またひとりと増えていけば、きっと叶うと信じたい。

(インタビュー後記 村井裕子)

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