ほっかいどう元気びと

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2017年12月31日のゲスト

竹中 揚子さん
女子軟式野球チーム「札幌シェールズ」監督
「北海道女子軟式野球連盟」副理事長 兼 事務局長
竹中揚子さん

札幌市出身 43歳。
小学生のときにソフトボールをはじめ、中学時代には全国大会に出場。北海道当別高校ではインターハイでベスト8に、また国体にも出場した。
卒業後は当別町農協に就職し、職場のソフトボール部で活躍。廃部をきっかけに1997年、女子軟式野球チーム「札幌シェールズ」に入団。
2001年からは監督も務めチームを率いている。

村井裕子のインタビュー後記

竹中揚子さん 12月31日の「ほっかいどう元気びと」は、女子軟式野球チーム「札幌シェールズ」の監督 竹中揚子さん 43歳。ここ20年ほどで女子野球の環境が全国的にも整ってきているが、北海道の中でも草分け的な存在のチームの選手として、そして監督として、長年女子野球に携わってきたその思いを伺った。
 竹中さんは、元々はソフトボールの選手。小学生の頃から始めて中学で全国大会に、北海道当別高校ではインターハイでベスト8に進み、国体にも出場するという実績の持ち主で、卒業後には当時の当別町農協に勤務しながらソフトボール部でも活動していたのだそうだが、廃部になったタイミングで「札幌シェールズ」を紹介され野球の道に進んだとのこと。
 その時点まで竹中さんは、「ちょっと天狗になっていた」と素直に自己分析する。それまでは“勝って当然”のスポーツ人生。発足から3年しか経っていない1997年当時の「札幌シェールズ」は、竹中さん曰く、「素人さんの集まりのようだった」という。
 例えば、フリーバッティングでボールが飛んでいけば全員がそちらめがけて追いかけていくほど熱い思いがほとばしっていたそうで、その一生懸命さを目の当たりにし、「ここで初心に戻れる」と心動かされたとのこと。しかも、そんな状態にもかかわらず、「目標は日本一!」という突拍子もない目標の高さと潔さ。試合や練習が終わるたびにミーティングをして、なぜそうなったのか、そういう時にはどうすればいいのかなどを真剣に語り合うチームの姿勢にも心酔し、竹中さんはソフトボールで培った技術も提供しつつ強いチーム作りをしていったのだと語る。

竹中揚子さん 原動力のひとつは、「女子だからといってなめられてたまるか」という意気地。女子チームが出来るまでは男子と一緒のチームで野球に取り組み、たえず「女の子は・・・女の子だから・・・」といった風潮にも向き合ってきた人達が少なくなかったそう。女子野球チームが発足してからも、最初は、「女子だから対戦相手はこの程度のチームで・・・」などと見られがちだったことに発奮してきたことも強くなるための要因だったかもしれないと振り返る。
 謙虚で柔らかな物腰ながらもすっくと一本芯が通っている竹中さんの話を聞いているうちに、沢山の逆風の中でもボールを追いかけ、練習を重ね、とことん話し合い、力を発揮し、そして何より明るさ溢れる“野球女子達”の姿が頭に浮かんでくる。
 その“素敵さ”というのは、性別にも年齢にかかわらず熱くなれるものや目指せるものがあり、その可能性を仲間とともに追い求めるという底力から来ているものなのだろう。
 現在、「札幌シェールズ」は、一般による「トップ」、中高生の「ユース」、中学生以下の「ジュニア」の三部体制となり、そのジュニアの子供達から40代の選手までを竹中監督が率いているのだそうだが、同じ場所で同時に練習するため年上の人達がジュニア達の面倒を見るという体制も出来ているのだそう。
 チームが目指す高みは勿論「日本一」。そのために、ひとりひとりが“自分で考え、動ける”ように、全選手を集めての座学も大事にしているのだと収録後にも指導に込める思いを話してくれた。
 「何のために野球をやるのか?」「そのために今何が出来るのか?」といった思考をどんな場合でも出来るような人づくり。そうして、「『札幌シェールズ』で野球をやっていてよかった」と思って貰えるようなチームづくりをコーチであるご主人と二人三脚で作っているとのこと。そうやって人を育てることで、今度はその経験を積んだ選手が地域で指導者になったり、新たなチームを立ち上げたりして、女子野球をもっと広めて貰いたい、ともに盛り上げていきたい・・・。「目標は全国制覇」そして、「女子軟式野球の女性監督達が未だかつて成し遂げていない日本一を」という目標の向こうには、そんな願いもあるのだということが伝わってきた。
 どんな取り組みでも共通項がある。女子野球というカテゴリーの取り組みから、目標達成のためには人の基盤づくりが何よりも欠かせないということや、そこを怠らなければその取り組みは次へ繋がっていくのだということに共感する。すべては、「自分がどうしたいのか、何が出来るのか」というところからスタートするのだと今回も感じさせていただいた。

 いくつもの心にしみる言葉に触れながら、今年も終わっていく。
 「ほっかいどう元気びと2017」では、1月1日放送の「北海道コンサドーレ札幌」監督 四方田修平さんからスタートし、この大晦日の竹中さんの放送まで53人もの方々にそれぞれの活動への思いを聞かせていただいた。
 番組冒頭のナレーションにもあるように、それぞれが “北海道を愛し、北海道で活躍する”人達であり、まさに、“自らの力で可能性を手に入れた物語”を持ち、“夢に向かう新たな決意”を胸に抱いている人達。その出会いと対話はとても刺激的で、私自身も沢山の触発をいただき、この後記でその思いを綴ってきた。
 2017年を時代として振り返ってみると、悲しいかな、北の脅威や大国の自国第一主義的な政治姿勢、国内では大企業で続々出てきたデータ改ざんなどの不正、いじめや過労死問題などなど、洪水のように押し寄せる負の情報に気持ちが萎えそうになる一年ではあったが、地域に生き、様々な分野に取り組むおひとりおひとりと話をしていると、時代は時にぶれながらも、市井に生きる人々はそれぞれに何かを考え、行動し、未来を地域を明るいものにするために一歩一歩進むことを厭わないのだということを毎回感じさせて貰えた。
 あたかも大きな船である“世界”はいつのまにか羅針盤を失い、気づくと誰も願っていない“強硬”で“偏狭”で“狭量”な方向にぐいぐい流されているかのよう。だけれど、そこに乗り合わせる人々が行き着きたいのは、すべての人の心が“平らか”で“和やか”な場所。自分一人の力ではどうしようもないが、人として譲れないもののために考え、願い、自分が出来ることを見つけて行動する人達は確実にいる。そんな“乗組員達”がいる限り、この世界は針路を大きく外れることは無い。・・・北海道という一地方で、あらゆる分野に尽力する人達の思いに触れると、そんな希望が新たに湧いてくる。

 今年もあと少し、来年が現実になろうとするこの年の瀬に、ふとMr.Childrenの『くるみ』という歌のフレーズを思い出す。ターニングポイントの折々に浮かぶ歌だ。

 “希望の数だけ絶望は増える それでも明日に胸は震える
 「どんなことがおこるんだろう?」想像してみよう”・・・

 希望を数えてもその数だけ絶望は増えるという切なさがしみる歌ではあるが、「それでも明日に胸は震える」という言葉にぐっとくる。それが生きているということなのだなぁと腑に落ちてくる。そして、未来というのは「どんなことがおこるのか・・・」と不安を引き寄せていれば息苦しくなるけれど、たえず、「どんな“素敵な”ことがおこるんだろう?」とひとりひとり想像し続ければ、光の方へ向かっていくのだと確信出来てくる。
 新しい2018年も、そんなふうに、北海道に生きる「元気びと」達から希望の種を引き出し、胸が震えるような瞬間をラジオをお聞きの皆さんと共有したいと思っている。
 今年1年、番組を聴いてくださり、そして、このインビュー後記を読んでくださり、ありがとうございました。どうぞ幸せな新しい年をお迎えください。

(インタビュー後記 村井裕子)

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