ほっかいどう元気びと

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2018年1月14日のゲスト

福嶋 匡洋さん
羽幌町健康支援課 保険係 臨床心理士
福嶋匡洋さん

東京都出身。37歳。
立教大学大学院で臨床心理学を学び、大学院修了後は千葉県でスクールカウンセラーとして勤務。
「もっと枠にとらわれずに心理的援助ができるようになりたい」と思っている時に、羽幌町で“乳幼児から高齢者まで、ライフサイクルに応じた心の健康作り”をすすめるため臨床心理士を募集していることを知り、2012年に家族とともに羽幌町に移住。

村井裕子のインタビュー後記

 もう4、5年も前になる。高齢になった父の時折変わる感情や言動に過度に振り回されずその都度適切な対応をしたいと思い、心理学に関する本を何冊か読んだ。そんな中で興味深かったのは、やはり年を重ねると若い頃とは違う心理状態が表れてくるということと、耳なじみの無い「発達心理学」という分野が今まさに注目されているということだ。
 「発達心理学(※)」とは、“人間が生まれてから死ぬまでの心身の変化や行動などを解明するもの”。人として母親の胎内に受胎したときから死に至るまでの長い一生の間の発達のことを「生涯発達」と言うのだそうだが、70年代以降、平均寿命の延長に伴い高齢者の心への関心が高まり、生涯発達的研究が本格的に行われるようになったとのこと。
 「発達」というと子供の成長を思い浮かべてしまうが、人の発達は“成長し発達する”ばかりでなく、“衰退していくもの”も含めて考えるべきであるという新しい視点も取り入れられてきたのだそうだ。(“経年劣化”である物忘れや足腰の衰えも、視点を変えれば“発達”なのだ。すごくないか。発達し続けるわたし・・・!)
 そういった“人の一生”の心身の変化に対してもっと認識が深まれば、人間関係の無駄なトラブルも防げるだろうし、人に対して疲弊する悲しさも減っていくだろう。そして、そういうことを熟知した専門家が地域の中で機能する体制作りが出来たら、友人関係で人知れず悩んでいる子供や仕事場で消耗しながら働く人、家庭という狭い社会で家族との間がうまくいかない人、話をする機会が減って気力の萎えているお年寄り、介護に疲れた人達の心ももっと支えられるのではないだろうか。

福嶋匡洋さん そんなことを考えていた折にある新聞コラムが目にとまった。“乳幼児から高齢者まで一貫した心理支援”を進める羽幌町の取り組みに賛同して道外から移り住んだという臨床心理士・福嶋匡洋さんの小さなコラム。“目指すところは、心理の何でも屋”とあり、是非ともその志にふれてみたいと思っていた。
 ご出演を快諾していただき、「ほっかいどう元気びと」にお迎えした福嶋さんは現在37歳。羽幌町で臨床心理士を募集していたのを見て志願し、生まれたばかりのお子さんを連れて家族で来道した2012年以降、1人で何役もこなす忙しい日々を送っているという。
 それまでは千葉でスクールカウンセラーとして働く日々だったそうだが、中学や高校で経験を重ねる中で、「もっと早く関わることが出来れば、そして、この先も関わることが出来たら・・・」と思うことが少なくなく、やればやるほど課題は見えてきて、「枠にとらわれず、切れ目なく、必要な人に、必要な時に、必要なだけ心理的援助が出来るようになりたい」との思いを募らせていったのだという。そんなタイミングでの羽幌町の募集に「これだ!」と直感的に決め行動に移したというのは、“次への準備”が整っている人には運命的に出会いがやって来るということの表れなのだろう。

 そもそも、なぜ福嶋さんは「心理的援助」をする仕事を選んだのか。その心の動きの軌跡や様々な出会いからの深い気づきは短い時間では語りきれないこととは思いつつ、一言で表現して貰うと、「“生きる”ということについて考え続けたかったから」。
 頭も良く、スポーツも何でも良く出来たという優秀な子供時代を経て、10代半ばでの受験のつまずき。進んだ高校での部活の挫折。「人よりも何でも出来た自分は努力をせずに来てしまった」と“空っぽ”の自分を認める怖さ。その思いから逃れるための非行。突然の病気の宣告。支えてくれた人との出会いと別れ。罪悪感に呵まれながらも命と向き合ったことで見えた進路。さらに、生と死にしっかり向き合おうと大学・大学院で心理学を学ぶようになっても、この先何をしたいのかという迷いで道が定まらず、さらなる罪悪感の日々。・・・
 そんな時、自分自身の進路に対して心が決まったきっかけが、不登校だった兄弟との出会いだったという。
 「ただ、一緒に遊んでいただけです」と言う福嶋さんだが、自分という存在が関わることで兄弟は変わり、目標を見つけ、彼らの可能性を彼ら自身で見い出していったのだそう。
 こちらが何かをしてあげたのでも導いたのでもなく、ただきっかけを作っただけのこと。そんな経験に自分の可能性をも見いだすことになる福嶋さんは、「生きる」ことを考え続けながら人の心に寄り添う臨床心理士という仕事で生きようと心が決まったのだという。

福嶋匡洋さん 「私はこうしたい。こう生きていきたい」と定まった思いと連動するように羽幌町に引き寄せられてまもなく6年。乳幼児検診での育児相談から支援、学校内での学習支援やソーシャルワーカー的働きかけ、介護をされる人への課題の分析や方向付け、はたまた、外部機関との連携、様々な会議での助言、講演、研修などなど、一般的なカウンセリングのみならず、“こころの健康”への認識を深めるために伝える役目も多いという。
 「羽幌の人達、小さい子からお年寄りまで、心が元気なのは福嶋さんがいるからというのはやりがいがある仕事ですね」というこちらの感想に、「そんなまだまだ・・・」と大い謙遜していたが、課題は多く新しい分野でもある“心理の何でも屋”としての真っ直ぐさが伝わってくるお話だった。

 臨床心理士の数は都市部はまだしも地方では圧倒的に少ないのが現状だ。福嶋さんの話を聴きながら思うのは、臨床心理士が全住民の心のケアをくまなく請け負うということ以上に、そういう専門家と何かの折に触れあった誰かや話を聴く機会のあった誰かが、「こんな考え方のほうが心が楽、こんなふうに人と接したほうが互いに心地良い」といった柔軟な心の持ち方を、身近な誰かに伝えていくという循環が生まれていくということがとても意味のあることなのではないかと感じた。地域のひとりひとりが自分や他者の心の健康に気づけるための“触媒の役割”といったらいいか。
 福嶋さんが何度も口にしていて印象的だったのは、「臨床心理士はほんの小さなきっかけづくりにしか過ぎません」ということと、「自分の人生を生きるのはその人自身。私達は“正解を出してあげる”のではなく、“本人が自分で生きていくための力を支えてあげる”だけ」という言葉。今の世の中全体を見回してみてもその考え方は基本になるのではと感じた。
 正解は自分で出すもの。そして、それを支える人づくりがさらに重要になってくるのかもしれない。

(インタビュー後記 村井裕子)

※資料「手に取るように心理学がわかる本」(渋谷昌三/小野寺敦子 かんき出版)

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