ほっかいどう元気びと

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2018年1月21日のゲスト

向井 宣裕さん
雪像制作グループ「101人の会」世話人代表
向井宣裕さん

札幌市出身 52歳。
中学1年生の時にさっぽろ雪まつりではじめて小雪像を作り、その楽しさから翌年も挑戦しようとしたところ抽選で外れ、当時、中学の先生が参加していた「101人の会」に入る。
以来40年近く雪像づくりをつづけ、現在は内装業を営むかたわら「101人の会」の世話人代表を務めている。

村井裕子のインタビュー後記

向井宜裕さん 札幌はお正月が終わると、一気に雪まつりの準備で盛り上がる。2018年は69回目。観客が260万人にも上る国際的な冬のお祭りだが、クールと思われている地元市民の中にも待ち焦がれている人達が少なくない。観るというより、作るのが面白いという人達。雪像制作グループの「101人の会」もそのひとつで、市民雪像を作り始めてもうすでに44回目を数えるという。
 1月21日の「ほっかいどう元気びと」は、この会に中学の時から参加しているという現在の世話人代表 向井宜裕さん(52歳)にお話を伺った。

 向井さんの本業は内装業を営み、道外の仕事も多いのだそうだが、毎年11月位になると年明けから始まる雪像づくりの準備でじわじわと忙しくなるという。会の存続が危ぶまれたという2011年のシーズンに、この会を無くしたくない一心で“うっかり”手を挙げて五代目の世話人代表に“なってしまった”と笑う向井さんだが、持ってきてくださった資料やスケジュール表などをひとつひとつ見せてくれる表情は、静かだが確かに熱い。
 世話人代表の仕事はこまごまとしていて、雪像づくりに来てくれる人たちの調整や連絡、作業の割り振り、まかないの計画、依頼、そして、勿論、今年の雪像のテーマや構想を練って、後はひたすら期間内に力を合わせて作業を進める指揮を執る。
 中学の時に小雪像作りに参加したことをきっかけにその面白さに目覚め、中学の先生が入っていた「101人の会」の仲間に入れて貰って以来、大学で札幌を離れていた時期を除いて毎年雪像を作り続けているとのこと。その魅力は?と訊くと、「大人になってこんなに楽しい雪遊びが続けられるなんて、これほど面白いことはない」という雪像づくりの面白さを語り、そして、「そこに集まる大人たちがかっこよかった」と人の魅力をしみじみと語る。
 会社の同僚達でもない、親戚でもない、日々会って遊ぶ友達でもない、一年に一度の目的のために集ってひとつのものを作る達成感を分かち合う人達。本気で遊ぶそんな大人たちが子供心には「かっこよかった」のだという。特に、北海道は伝統のお祭りが無いので、雪まつりがそんな一体感を味わえる場になっているのかもしれない、と。

向井宜裕さん これまでの世話人代表は、カリスマ的リーダーシップの初代を始め、いろいろなタイプの人が引っ張っていってくれたそうだが、向井さんは、「僕は、みんなに“投げる”タイプ」とのこと。「どうやったら出来る? そこはどんな形がいいと思う? と預けて、みんなに考えて貰う」。そうやってひょうひょうと雰囲気づくりをしながら、あの人とあの人を同じ作業にした方がもう少し仲が良くなって空気が良くなるかな・・・とか、興味津々で見ている観光客に声をかけて作ってもらおうかな・・・など、とにかく気持ちよく作業が出来るように静かに目を配り、気を配るのだという。
 勿論、雪像の完成度を上げるための配慮も外せない。もっと技を上達させて精巧な像にするにはどうすればいいかということも毎年の課題だというが、現場では「細かいことはまあいいか・・・」とこだわらず、雰囲気づくりのほうを優先することもあるのだとか。「あくまでも、楽しい大人の雪遊びですから」と。

 “コミュニティ”ということを考えた時に、自分の居場所がここにあるという実感を持てることが何より大事なのではないかというのがお話を聴きながら感じたことだ。
 家庭の中の居場所、職場での居場所、友人関係における居場所・・・。居場所作りのために何かを習いに行く人もいるだろうし、ボランティア活動に自分の場を見つけて生き生きしている人もいるだろう。
 一年に一度、「元気だったかい?」と声を掛け合いながら集まって、力仕事が得意な人、絵の描ける人、緻密な作業に長けている人、まかない料理が抜群に上手い人・・・それぞれの得意を持ち寄って雪像を作り上げる「101人の会」というのは、そんな大人達の役割がきらりと光る居場所なのだと思った。

 改めて、ひとつの目標に向かって力を合わせるということの面白さを思う。
 私事だが、向井さん達が大通公園西9丁目で雪像作りにせっせと励む頃、私と私の朗読教室のメンバー達は、毎年3月に行っている「朗読まつり」へ向けて慌ただしい時期になる。道内約7教室からの参加で今年は節目の第10回。規模や分野も全く違うが、向井さん同様、私も言ってみれば諸事雑事全般請負の“世話人代表”だ。
 そして、形の有るものと無いものという違いはあるが、“創り上げていく”ということではどこか似ている。きっと、雪像も次は何にするかを考え始める頃は、楽しみもありつつの「さあて、どうしようか・・・」が代表の背中にずっしりのしかかっているのではないか。
 “たかが”朗読の催しでも“されど”・・・である。次のテーマや本選びが前年秋頃から私の背中にものしかかり、お正月休みにうずたかく重ねた候補本に囲まれながら“えいっ”とばかりに構成を始めていく。携帯メールの絵文字で表すなら汗マークそのものの心境だ。
 だが、真っ白な“白地図”状態だったところにひとつひとつ構想が落とし込まれ、そのひとつひとつが仲間達によって自在に動き出し、形が想像出来る時期になると、俄然面白くなる。雪像の全貌が日に日に現れて行くように、紙に文字で書かれた物語は声の表現で立体的になる。そうやって、ゴールを迎えた時の爽快感や、次もさらに頑張ろうと思える感動は、どの分野の取り組みでも同じなのではないだろうか。
 向井さんは、雪像はまつりの期間が終わったら壊され、跡形もなくなる。それがまたいいのだと話されていた。音声での文芸表現も、放たれた瞬間に消えていく。そこがいいのだろうなと改めて思う。
 どちらも、心にくっきりと残像を残し、そして、目には見えない人の絆が確かに残る。
 どちらも、消えていくものへの美学だ。大人だなぁ。・・・と浸るためには、まだまだひと頑張りもふた頑張りもしなくてはならないのだけれど(汗!)

(インタビュー後記 村井裕子)

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