ほっかいどう元気びと

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2018年1月28日のゲスト

増山 誠さん
「otaru dining NO NAME」店主
元「海猫屋」店主
増山誠さん

小樽市出身。69歳。
学生時代はスキー部に所属しアルペンスキーで活躍するが、怪我をきっかけに大学を中退し料理の道へ。
その間東京で出合った前衛舞踏をはじめ、寺山修二や唐十郎の影響で文化的要素に目覚め、1976年、小樽の文化発信の場として「海猫屋」をオープン。
2016年に40年間の歴史に幕を下ろし、去年4月 新しく「otaru dining NO NAME」をオープンした。

村井裕子のインタビュー後記

 私にとって、「小樽」という地名から思い浮かぶのは“感謝の思い”。北海道での第一歩を支えてくれた温かい、いや、熱い小樽の人達への有り難い思いだ。
 岩手県生まれの私が札幌で暮らすことになったのは北海道放送のアナウンサー試験に合格したことがそもそもの始まり。社会人としてのスタートでもあるその時期、道内に親戚も知人もいない私のことを親身になって面倒見てくれたのは小樽出身の短大の同級生のご両親だったというのはこの後記でも書いたことがある。
 娘の一人のように快く家に泊め、食事を振る舞い、札幌の住居の手配までしてくれたのみならず、社会見学だからと小樽の呑み屋探訪も。この地で出会う人出会う人は、皆人懐っこくて、“濃く”て、心底小樽を語りたいのだというのが強烈な印象だった。私にとっての北海道とのファーストコンタクトが“小樽人”だったわけだが、この最初の“刷り込み”が私と北海道をがっちりと繋いだのだとつくづく思う。
 さらに小樽との縁は続き、訓練後に初めて担当した帯番組がラジオの小樽の録音風物詩。小樽を訪れ、土地の人にインタビューするというもので、その中で今でも覚えているのが文化発信の役割を担っていた「海猫屋」での取材。もう39年も前のことなので、そこで何を訊き、どんな言葉のやり取りをしたのかはすっかり忘れてしまったのだが、出会ったマスターに温かく励まされたという思い出だけがずっと残っていた。新人で右も左も分からない、インタビューなど満足に出来なかった赤面の頃だったが、この仕事で一人前になれと期待のエールを送ってくれたという記憶だ。
 その後はお礼状と年賀状の何度かのやりとりだけで遥かな年月が経ってしまうのだが、感謝の思いをいつか伝えられたら・・・と思っていた。

増山誠さん そのマスターである増山 誠さん(69歳)が「ほっかいどう元気びと」1月最後のお客様。惜しまれながら2016年に閉店した「海猫屋」への思い、新しく立ち上げたレストラン「otaru dining NO NAME」への思いを伺った。
 インタビュー番組を担当していて嬉しいのは、会いたいと思っている人、会いたかった人に出会うことがあること。そして、伝えたかったお礼を言えること。とは言え、小樽取材は遥か昔のこと。感謝の理由もぼんやりしているというなんとも漠とした「その節は有難うございました」だったが、すっかり忘れているよと言いつつも増山さん、「でも、何となく思い出してきた」と言ってくれながら収録は始まった。
 1976年にライブハウスとしてスタートしたという小樽の「海猫屋」は、知る人ぞ知る文化の発信拠点。小樽から新しいものを生み出し、小樽の名前を全国に広めたいというマスターの思いに共鳴するように 前衛舞踏家やジャズミュージシャン、芸術家、作家などが惹き寄せられ、70年代から80年代にかけてひとつの時代を作り上げていった。
 個性的なマスターは、多方面で芸術的な活動にもかかわってきた話題豊富な“語り部”の印象を放つが、腕のいい料理人であり、90年代以降はレストランとして尚も“小樽に「海猫屋」あり”を発信し続けてきた。

増山誠さん 70歳を前に長い歴史の幕を下ろした増山さんに「海猫屋」の40年を振り返って貰うと、「勉強させて貰った年月」との答え。その言葉通り、増山さんのこれまでの経験で蓄積された「引き出し」は多ジャンルであり、幾つも重なりあい、しかもランダムに積まれている。何が飛び出てくるかわからない“からくり仕掛け”的な引き出しだ。自分の思いなんて全く分からないし振り返っても何も出てこないよと言いながら、ふと、「俺のこれまでは、負けから始まって、負け続けた人生だったからさぁ」とこぼれた言葉に人柄が滲む。
 どんな負け続けなのかをさらに収録外の雑談で伺うと、これまた個性的な表現で返ってくる。
 「スキーで年下に負けた俺は、行き止まりの中“俺探し”をして、料理という駅に行き着き、さらに俺を探し続けて、アートという駅、前衛舞踏という駅、ジャズという駅・・・次々に出会っていった」。それが海猫屋の40年。
 “負け続ける俺・・・”と自虐的表現なのに、えも言われぬ大人の余裕が醸し出される。負けたけどそれに変わる何かを見つけられた人の自信でもあり、はたまた、それを繰り返して生きてきた人の流儀でもあるのだろう。人は自分自身でそういう自信を付けなければならいのだという当たり前のメッセージが滲み出る。

 役割を終えた「海猫屋」から半年も経たずにオープンした「otaru dining NO NAME」は、増山さんの原点である料理の腕を存分に振るう場所。小樽の旬の食材を自在に調理し味わって貰うレストランだ。
 お店の名前は、「名無しの“ごんべえ”でも良かったんだけど…」と言いつつも、なんとも響きがかっこいい「NO NAME」。文化の発信拠点として名を轟かせた「海猫屋」を颯爽と幕引きしてからの「NO NAME」。
 「人生の60代以降は、経験したことを次の世代に語ること。それも、何か訊かれたら即答しなくてはならないんだよ」とも話されていたが、小樽の地で、増山さんという存在が、さらに今までとは違った“発信拠点”になっていくのだろう。
 そうそう、それそれ。そういう気概の“濃さ”が“小樽人”の味わいだったなぁ・・・と思い出しながら、“69歳・小樽の永遠のマスター”の話を懐かしく聞かせていただいた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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