ほっかいどう元気びと

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2018年3月11日のゲスト

宍戸 敏雄さん
北海道岩見沢農業高等学校 教諭
ボランティア・ユネスコ部 顧問
宍戸敏雄さん

美唄市出身 58歳。
弘前大学教育学部を卒業。塾講師を経て北海道へ戻り、旭川工業高等学校で生徒会顧問となったのをきっかけにボランティアに関わりはじめる。
東日本大震災発生後の2011年4月に岩見沢農業高等学校に赴任。
翌年、呼び掛け人となって東日本大震災の復興を支援する「東北の物産販売高校生プロジェクトin岩見沢」を立ち上げ、生徒たちと共に活動に取り組んでいる。

村井裕子のインタビュー後記

宍戸敏雄さん 今年は東日本大震災から丸7年になる。2011年4月にスタートした「ほっかいどう元気びと」も毎年この時期は何らかの形で東北に関わる方々にお話を伺っている。ちょうど3月11日が放送日のこの日は、「東北の物産販売高校生プロジェクトin岩見沢」を支える北海道岩見沢農業高等学校教諭の宍戸敏雄さんに出ていただいた。

 2011年の4月に今の高校に着任したという宍戸さん。それまでの赴任校でもずっとボランティア部に関わってきたこともあり、震災翌年から岩見沢市内の3校の生徒達と共に被災地復興支援のためのプロジェクトをスタートさせ、今では岩見沢農業高校、岩見沢高等養護学校、岩見沢緑陵高校、岩見沢東高校、岩見沢西高校の5校の生徒有志約100名による毎年の活動を見守り続けているという。
 プロジェクトの要は「東北の物産販売」と名前にもあるように被災地の生産者達を応援しようというところ。仕組みは、東北の物産を買い取って岩見沢と札幌で販売会を行い、売り上げは被災地の子供達の就学支援に充てる。物産を買う資金は活動支援金として市内で募った寄付で賄うというもの。思いやお金、品物が分かりやすく循環される形になっている。
 その立案と実行、例えば東北の名産品の中から何をどう選ぶのか、どう交渉するのか、被災地のことを忘れないための写真展示などをどう開催するかなど、すべて高校生達の手によって行ってきたのだという。大事なことは、「誰もが出来ることは何だろう、自分達が出来ることは何だろう」と考えること。被災地へ出向くことも大切な支援だが、皆が行けるわけではない。学生の本分を踏まえた上で出来ることは何かを考えるということ。宍戸さんのお話から、きっと生徒達はこれらを何度も話し合い、行動に移すことで、「何が大事なのか」「なぜそれは大事なのか」などにひとつひとつ気づいていったのだろうと伝わってくる。

宍戸敏雄さん 先生の役割としては、「とにかく見守る」というスタンスだそう。「ボランティアって何だろうとずっと生徒達と考えてきました」と話す宍戸さんは、答えを提示するのではなく、一緒にそれを考えようと社会福祉協議会主催の体験研修会など地域の人達の研修の場や福祉活動の場にボランティア部の皆を連れて行ったのだという。そういう繋がりがあったからこそプロジェクトの立ち上げの際にも地域の協力が得られたと話すが、何よりの収穫は町の人達との垣根が低くなったことだという。
 例えば、高校生達にとって通りすがりの中年女性は“ただのおばさん”にしか過ぎないが、その女性がボランティアに取り組む場に共に参加することで改めてその人を知ることになる。逆もまたしかり。何も接点が無ければ、「今時の高校生は何を考えているかわからない」ままだが、活動を共にすることで「若い人もいろんなことを考えていたんだ」と理解することに繋がる。宍戸さんは、生徒達との取り組みで得られたことを訥々と語り、収録後にもご自身が見つけたボランティアへの問いの答えをこう表現してくれた。
 「ボランティアというのは、地域をいかに発見し、いかに盛り立てていくかという『地域作り』」。そして、高校生の場合のボランティアは何をしたらいいかわからないところから始めて、動いて、人に接しているうちに沢山のことを学べるということが、そのまま『学校教育』なのだと思います」
 2018年は、この放送日を挟んだ3月14日までの期間、イオン岩見沢店で「東北の今を考えるパネル展」を、そして8月には札幌と岩見沢で販売会を行うという「東北の物産販売高校生プロジェクトin岩見沢」。あの、誰しもが立ちすくむような未曾有の被害を受けた東北に対して、高校生達が手探り状態ながらも自分達で考え、動き、後輩達へそのノウハウを受け渡す。それを先生達がサポートし、さらに、地域の人達が見守るという復興支援。呼びかけ人であり、生徒達の支柱となって活動を支える「宍戸先生」のお話を聞いて、岩見沢という町の人の繋がりが伝わってくるようだった。

 7年という歳月が経ち、果たして私達は被災者の心に寄り添い続けてこられたのだろうか。この国のやり方は正しい方へ向かってきたのだろうか。意識の持ち方はどうだろう。あの震災を境に突きつけられた「人のほんとうの幸せは何か」という問いに対して、今もちゃんと考え続けられているだろうか。大きな単位の組織は勿論、個々である私達ひとりひとりが「宿題」を背負わされたはず。段々薄くなっていく記憶の中で、この先、その難問にどう答えを出していけるのだろう。・・・
 ちょうど、この収録の前、作家・重松清さんが書いた「希望の地図 3.11から始まる物語」(幻冬舎 2012年3月11日発行)を読んでいた。重松さん自身が東日本大震災から半年後に東北の各被災地を訪れて取材した内容をドキュメント風に物語で綴ったもの。被災地を一緒に旅することになるライターの田村章と不登校の東京の中学生・光司、ふたりの心情が実際の人物との出会いなどを交えて描かれている。その中で、光司は、途方に暮れたり、涙を流したりして沢山のことを感じた旅の終わりにこんな気づきを得る。
 「生きている人から亡くなった人へ、亡くなった人から生きている人へ、そして生きている人同士・・・大切な記憶や思いが、リレーのバトンをつなぐように受け渡されていけばいい。(中略)だとすれば、自分の手にも、すでにバトンは握られているのかもしれない」
 それに対して、田村は、「俺の仕事もバトンなのかもしれない。記事を書いて誰かに伝えることも同じだろう?バトンだよ」と返し、「光司くんも被災地からバトンを受け取った、というわけだ」と続ける。中学1年の光司の、「でも・・・そのバトンを誰に渡せばいいんですか」と戸惑いながら発した言葉に、田村が言う。
 「一生をかけてバトンを渡す相手を探せばいい。その相手に巡り合うための長い旅が、人生なんだから」
 バトンをしっかり胸に抱いて、どんどん歩いて行くんだ、と。

 生徒達と復興支援を続ける宍戸さんの話を聞きながら、「ああ、バトンの受け渡しなのだ」と思った。重松清さんの表現にあった「震災より前の年月を長く生きた者」が、「震災より後の年月を長く生きていく者」に渡していくバトン。そして、さらに次へと。
 震災後1年、3年、5年、そして7年・・・10年後、20年後。その時々で感じたり気づいたりすることは違っていくだろう。だからこそ、大事なことは、次の人達に「何を渡していくのか」「どんな大切なものを渡せるのか」、自分の手に握ったものをそれぞれが考えるということなのではないか。
 毎年の3月11日は、きっと、そういうことを考え、感じながら、それぞれが少し立ち止まる日なのかもしれないと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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