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2018年5月13日のゲスト

関口 陽介さん
珈琲癒人(コーヒー・セラピスト)
関口陽介さん

江別市出身 27歳。
親のうつ病や小学生の頃いじめを受けた経験からカウンセラーを目指し北星学園大学で心理学を学ぶ。
東日本大震災後、ボランティアとして活動し様々な人の悩みに触れる中で「もっと敷居が低い形で人の悩みをきける空間をつくりたい」と決意。
その後コーヒーを学び、「ゼロ円旅」の経験を経て2017年から珈琲癒人(コーヒー・セラピスト)として活動を始めた。

村井裕子のインタビュー後記

関口陽介さん 前回のこの欄の結びで、「分野やアプローチの仕方は様々でも、同じような概念と共に“心の根本”を耕す取り組みに汗を流している人があちこちで数を増しているのではないか」と書いた。この番組ではすでに360人を超える方々にお話を伺っているが、職種は違えど、叶えようとしているのは「人がより生きやすい世の中」。関わる仕事を通して少しでも皆が幸せでありますようにという共通の願いがそれぞれから伝わってくる。そして、最近増えていると感じるのが“オリジナルの仕事”。これまでのカテゴリーには無かったその人独自の生業(なりわい)というのも終身雇用制が今は昔のこの時代の特徴のようだ。
 今回のゲストの肩書きも今まで耳にしたことのない「珈琲癒人(コーヒーセラピスト)」。コーヒーを“ツール”に、人の話を聴いて心の居場所を作るという独自の取り組みを2017年から始めたという札幌の関口陽介さん(27歳)にお話を伺った。

 関口さんが今の仕事をするようになったのは、ご自身がプロフィールにも書いているが、親がうつ病だったという家庭環境と小学生の頃に太っていたことでいじめられた経験によるところが大きいそう。話すことも苦手だったという不自由なコミュニケーションの日々の中で唯一「人と繋がれる」実感があったのが、「人の話を聴く」ことだったという。人がどんなことを思っているのかにとても興味があり大学ではカウンセラーになろうと心理学を学ぶが、友人達の悩みを多々聴いてきた中で感じたのは、「カウンセラーでは敷居が高い。どれだけの人がカウンセラーという存在に相談に行けるのだろう」という疑問。2011年の東日本大震災後に東北にボランティアに出掛けた経験から気づいたのも、「もっと敷居の低いかたちで人の悩みを聴ける空間を作りたい」ということだったそう。
 大学在学中から珈琲の勉強を始め、卒業後には就職という選択をせずに数ヶ月間東北の被災地に関わって町づくりを学んだり、珈琲を入れながら九州をまわる「ゼロ円の旅」にチャレンジしてみたり、様々な場所で多くの人達と出会う中で、“珈琲を入れて人の話を聴く”という最も得意なふたつを生業にしていこうと気持ちも固まっていったとのこと。
関口陽介さん 収録後にさらに問いを続けていく中で、自分と仕事についてこんな表現もされていた。
 「僕は人の話を聴くのが好きで、人の持つ本質的なところを把握する能力があると思っていた。考えたのは、そういう“僕にしか出来ないこと”は何だろうということでした」
 “僕にしか出来ないこと”。それを仕事にしていけば、それこそが“生きている”ということなのだと思うと関口さんは続ける。自分にとってのそれは、「珈琲を入れること」と、「人の話を聴くこと」。そして、「そんな自分を見て、そういうふうに選ぶ仕事もあるんだ。そんなふうに“好き”を仕事にしていいんだと思って貰えれば」とも。
 関口さんがそう強く思うのは、十代の自身の経験のみならず、就職した人達の中で「仕事が楽しくない」と愚痴をこぼす人が少なくなく、もっと楽しく生きる方法はないのだろうかと考えさせられることが多かったからだという。人は人、いろんな考え方や選択肢があっていい。何より辛い日々に押しつぶされそうになって自分を無くしてしまっては元も子もない。「好きなことで生きていく」ということもひとつの選択肢であるということをこの仕事を通して広めていきたいのだと、終始笑顔で語ってくれた。
 周りからは「それが仕事になるの?」と言われることもあるオリジナルの仕事だが、関口さんは、「自分で自分のことを選択出来たら、それは苦労ではない」と言い切る。震災後の東北に住んだ経験や“ゼロ円の旅”の経験でそれまでの価値観が削ぎ落とされるのを感じ、人が生きる上でお金よりももっと大事なことが確かにあると気づいたのだと。
 今は呼ばれたところに“出掛けて”行って、珈琲を入れ、人の話を聴き、ほっとする居場所作りを続ける。その一方でいつかは珈琲店を構えられたらと夢を話す関口さん。そんな珈琲の香りが漂うような連作短編小説があったなと思いながら、その癒しの時間を想像してみるひとときだった。

 仕事という大事な生涯活動を続ける中で1ミリも悩んだり苦しんだりしていない人はいないだろう。私自身、最も葛藤の日々だったと思い出すのが、放送の現場から他部所に異動になった1年間。それまでフル活用していた感性の脳ミソではない逆側を使わねばならないという現実が心底辛く、17年もの間表現の仕事をして来た自分がゼロになってしまうような怖さでバランスを崩しかけた。行きつけの病院で、心が辛いようなら行ってみますかと心療内科の住所を渡されたが、20年以上も前の時代、それこそ敷居が高すぎて、お財布の中のお守りになった。その時、不思議なことに医者よりカウンセラーより効いたのが、つれあいの一言だった。いざとなったら一緒に行って貰えるかと訊いた答えが、「いつでも行くよ」というごくごく普通の反応。さりげなく心の裡を聴いて貰え、気軽に受け止められたことでふっと力が抜けたのを覚えている。その時、そこには珈琲があり、まさに私にとっての「珈琲癒人」だったのだと思う。
 関口さんが生業にした「珈琲癒人(コーヒーセラピスト)」。「珈琲を入れる」プラス「人の話を聴く」という向き合い方は、日々の中、誰しもがその役割をすることも出来るのですよ・・・と伝える役割でもあるのかもしれないと、そんな救われたひとときを振り返ってみて改めて思う。誰かが誰かの「癒人」になれるのだ、と。“ツール”は珈琲であれ中国茶であれ、そこに“話を聴く”という優しさがあれば人と人は互いに救われるのではないか、と。
 私の傾き掛けた心のバランスはその後、自分にとって最も相応しい働き方を見極め、培った経験を生かすフリーランスの道の方を選択してからみるみる活力を取り戻した。「一生一回しか生きられない。“生きている”実感を得られるのはどっちだ?」と自分に問いかけて出た答えだった。どんな仕事を選ぶか、組織か個人か、どんな働き方を選ぶかはその人次第。でも、どんな時にも自分の心を締め付け過ぎないようなやり方を見つけることも忘れてはいけない。自分に対しても、自身の「癒人であれ」という心の守り方も大切だ。
 「珈琲癒人(コーヒーセラピスト)」という関口さんオリジナルの仕事は、また、そんなことを気づかせる“触媒”でもあるのだろうと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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